日本が発展しない理由、衰退してしまった理由を考えてみた。

はじめに

ずっと前から、日本が発展しない理由、衰退してしまった理由が何なのかを、自分なりに考えていた。文章に出来るほどきちんとまとまっていなかったが、最近あまりにもおかしなことを目にするので、この機会にちゃんと向き合って考えてみた。

結果を先にお伝えしておくと、日本が衰退してしまって理由は、目標をきちんと設定できなかったからだという考えに至った。

「将来、こうなっていたい」とか、「これを成し遂げたい」っていう明確な目標がないので、どこに向かって努力をすればいいのか、わからないまま、なんとなく時間をやり過ごしてきた。そんなことを、ずっと続けて来たもんだから、今のような状態になってしまったのだ。

失った時間と現状を見てみる

若い人が読んでいるかもしれないので、過去を振り返りつつ、今の状態を見てみよう。

失われた20年という言葉がある。失われた20年とは、1990年代初頭のバブル崩壊から経済が低迷していた20年くらいの期間を指す言葉だ。平成になってすぐにバブルが崩壊し、その後、2000年代に景気が良いとされた期間があったものの労働者の賃金は上がらなかった。個人の感覚としては、景気が良いとされていた期間も含め、バブル崩壊後、一度たりとも成長軌道に乗ることがなかったように感じている。失われた時間は、20年どころじゃなく平成の30年間は、丸ごとドブに捨てた時間だったと思っている。もちろん、その間に世界は、大きく変わった。インターネットは、研究者がデータをやりとりする手段に過ぎなかった状態から一般の人がSNSを活用するまでに拡大し、携帯電話は肩からぶら下げる弁当箱のような物だったのが、手のひらに収まる物になった。カメラは、フィルムで撮影したいたものがデジタルになり、音楽は、レコードからデータ送信になった。変化したものの例を挙げればキリがない。バブル期には、確かに国内総生産が世界第2位だったし、ありとあらゆるものを買いまくっていたので、お金持ちだったんだと思う。しかし、それも平成の30年間で見る影もなくなってしまった。数年前、オーストラリア(パース)とアメリカ(ニューヨーク)に行く機会があったので、宿を予約しようとしたら一泊3万円くらいになっていた。ニューヨークに至っては4万円くらいになっていたので、仕方なくマンハッタン島に泊まるのを諦めて隣のロングアイランドにしたくらいだ。その時、東京は、外国人がたくさん来るようになってから高くなったといっても1泊1万円台だった。世界の物価が、この30年でかなり上がって来ているのに、日本だけが上がっていないので、相対的に海外の物価を高く感じてしまうのだ。コロナ前に外国人がたくさん日本に来ていたのは、安い国だからというのも理由のひとつだった。それに、日本の置かれた位置は、海外に行かなくても、わかるはずだ。国内向けと海外向けを共用しているような商品、例えばカメラや車が、ここ数年で妙に高くなったと感じることはないだろうか?その理由を考えてみてほしい。

「日本はすごい。」日本人であれば、誰でもそう思いたい。しかし、現実を直視すれば、すごい部分があっても、それはごく一部の限られた分野に過ぎないのだ。

国としての目標は、どうだった?

自分は、50年くらい生きてきて、選挙権を持ってからも30年くらい経っている。しかし、自分が不勉強なせいだろうか、この国のリーダーたちが、日本の50年後、100年後の姿について語っているのを見たことがない。これは、一体、どういうことだ?個人であれば、10年後、20年後を考えていれば、充分なのかもしれない。しかし、国レベルであれば、1世代先、2世代先、つまり30年後、60年後までを見据えた対策が必要だ。

国の未来を変えようとした場合、早くて効果的なのは教育だが、教育を変えるためには、教える側を教育する必要があることから、思いついたからといって1、2年で変えられるわけではない。少なくとも1世代分の時間が必要になるだろう。長期展望での思考が必要不可欠だ。個人的には、ゆとり教育が失敗した原因は、物事を拙速に進めたからだと考えている。教える側の教育が不十分な状態で事を進めたから、理念が良くても方向を変えざるを得なかった。自発的に考える環境にいなかった人間に、自発的に考えるための教育を丸投げするなんて無茶苦茶だ。食べたことのない料理を、手本も無しで作れって言っているようなもんだ。

教育を例に出したが、いろいろなことがこんな感じだ。物事を考えるスパンがあまりにも短く、目先のことにとらわれ過ぎている。雇用を不安定にすれば、少子化の問題が深刻になるなんて、誰が考えても明らかだったのに、目先のことにこだわって進めてしまった。人口が限りなく増えることを前提にした年金の仕組みだって同じだ。ちょっと想像すれば、わかることなのに…。最近では、いきなり温室効果ガスの削減目標を掲げた。9年後の2030年に2013年度比で46%削減だという。温室効果ガスを削減することの必要性は理解できるが、この国は、ものづくりを中心に産業が成り立っている。二酸化炭素を発生させずに物を作る技術が、わずか9年で達成できるとは思えない。もし、ものづくりを基幹産業に据えたままなら、ものづくりの基本となっている製鉄や、電力を得るための発電方法は、一体、どうするつもりなんだろう。それとも、この目標は、基幹作業を、観光や金融、IT関連などの温室効果ガスの発生が比較的少ない産業に移行させる前提なのだろうか?

資源、エネルギー、食料、教育、産業、防衛、人々の暮らし。未来のために考えなければいけないことは、いろいろあるが、50年後、100年後の目標を示してほしい。きちんと目標を示した上で、そこに至るまでの過程を語りかけてくれる人がいるなら、その人をリーダーに選びたい。

会社や団体の目標は?

私は、自分自身がものを作るのが好きなので、何かを作っている現場を取材先に選ぶことが多い。そんな現場に行くと、いいものを作ろうと一生懸命な人達が大勢いて、胸が熱くなることもある。現場の人は、がんばっている。それは、間違いない。しかし、その一方で、疑問に思うこともある。「良い物を作って安く売る」という目標だけでいいのかってことだ。すでに世界の潮流は、新しい価値観を提供したり、新しい枠組みを作ることに移行していて、物を作るのは、それらを実現させるための手段に過ぎなくなっているからだ。日本は、ものづくりに集中するあまり、目標の設定が、手元に近いところになり過ぎていて、世界の流れを俯瞰出来ていないんじゃないか。

「高付加価値の商品を作らなければいけない!」と一時期よく言われていたが、「高付加価値=高品質+多機能」だと考えているように見えてしまうことは多々ある。もちろん、高品質なものを作ること自体は、間違いではない。でも、消費者に商品を届けるまでの過程を思い描くことなく、単に部品や素材のレベルで話をしているんじゃないかと不安になる。高付加価値とは、同じ品質の物でもより高く売れるようにブランドを確立させることだけど、ブランドには「志」も含まれているので、目先のことに目標を設定していては成立しない。自分の問題を起点にした「こうしたい」では、誰も協力してくれないが、世界共通の問題に対して「こうしたい」と訴えれば、多くの人が協力してくれる。そんなことにも目を向けてほしい。高付加価値を突き詰めてゆくと、自分自身で物を作る必要がないところまでたどり着くかもしれないが、それを理解した上で、どの辺りを目指すのか?目指す目標を決めるには、一度、高付加価値について、突き詰めて考える必要があると思う。

結局、前例がないことを極端に嫌うのも、失敗に不寛容なのも、品質に対するこだわりが強いのも、未来に対する目標設定をせずに、過去の延長線上で物事を考えてきたからだ。未来のことを真剣に考えれば、今までの自分の経験が否定されることもあるだろうし、業態を変えなければいけないこともあり得る。そんな現実を見たくなかったのかもしれない。

目標を設定することさえ出来れば、アイディアも出てくるし、もっと前向きにがんばれる。挑戦することだって悪いことじゃなくなるし、次世代に希望を持ってもらうことだって出来る。自分には、伝えることしかでいないが、未来に対して前向きな思いのある方達がいらっしゃれば、その気持ちを出来る限り伝えてゆきたいと思っている。

個人の目標は?

日本には資源が無い。それは、エネルギーも無ければ、材料も無いということだ。何をするにしても、全て海外から買ってこなければいけない。それは、資源を持っている発展途上国を相手にしても不利なことは間違いないし、資源を持っている先進国と並ぼうと思えば、そもそものスタートラインが、かなり後ろの方だ。それを自覚しているのであれば、彼らよりも何かしらの努力をしなければいけないのは容易に理解できる。問題は、個人がどこに向かって努力すればいいのか、その目標を設定できないことだ。

この国では、社会を動かすような大きな問題を自分で考える必要はなく、その代わり、決まったルールをきちんと守ることが、最善とされてきた。また、時事ネタについて考えを述べる人は多くても、人生の目標を即答できる人は少ない。それは、社会の大きな問題と個人の問題を、別のものとして捉えているからだ。しかし、日本は、民主主義の国なので、国の方向性は、個人の考えの集合体として決まる。個人が、自分の問題と国の問題とを切り離して考えていたのでは、国の方向はきちんと定まらない。ただ、そうは言っても、どこから考え始めればいいのか分からない人がいるかもしれない。そんな時には、現役世代の最大の使命が、次世代に対してより良い未来を残すことだと考えたら、どうだろう。問題が少し具体的になってくるかもしれない。

地球が割れようが、日本が沈もうが、どうでもいいという考え方もあるかもしれない。しかし、そんな発想で生きていてもつまらないので、私は、自分の出来る範囲で、何か役に立てることがないか、いつも探している。とりあえず、未来に向けた判断材料を提供するために、日本の現場を写真に撮って発表すること、そして、散歩道の安全確保のための草刈りが、今の自分に出来ることかなと思っている。

終わりに

社会の動きと自分の行動は、つながっている。今は個人でも情報を発信出来るから、昔に比べれば、そのことを実感するのは難しくないだろう。多くの人が、世の中を変える力を持った今、ますます重要になるのが、目標だ。どの方向を目指して歩いて行くのか?

あなたの目標は、定まっているだろうか?

以上、写真家西澤丞の悪戦苦闘でした!