逆算の写真術。写真家によるバックキャスティングの思考とは。

後悔しない人生を生きるための記事のイメージ写真

はじめに

 写真や仕事、人生と向き合い、後悔しないための考え方について書いてみました。この文章は、写真家西澤が書いていますので、タイトルを「逆算の写真術」としていますが、感情論ではなく論理的な考え方を書いていますので、一般の方が「仕事術」に置き換えて読んでいただいてもご理解いただけるのではないと思っています。また、ここで言う「逆算」とは、物事を進める時に、結果を想定してから行動する考え方であり、目の前のことを積み上げていって、成り行きで結果が出るのとは、逆の発想です。私は、昔から、この逆算する考え方で行動してきましたので、目先のことしか考えていない人には理解されず、悔しい思いをすることも多々ありました。しかし、いま、世の中を見渡せば、目先のことしか考えてこなかった結果、にっちもさっちもいかなくなってしまっている状況を目の当たりにします。また、多様性が叫ばれる一方で、同調圧力は、日々強くなっているように感じます。そこで、今まで受け入れられる機会の少なかった考え方ではありますが、きちんと文章にしておこうと思って書いてみました。なお、結果から逆算して考えるこの思考方法は、近年、持続可能な開発(SDGs)を目指す際の問題解決の手段として注目されつつある思考方法で、バックキャスティングと呼ばれているそうです。

バックキャスティングの思考法を説明する記事のイメージ写真

先ずは、一番大きな命題を決める。

私は、死ぬときに後悔をしたくないと思って生きています。

後悔をしないためには、どうすればいいのか?

それが全ての思考の基準であり、一番大きな命題です。

 私は写真撮影を仕事にすると決めてから、「写真家になるなんて、そんなリスクのある人生をよく選びましたね。」とか「お前の人生、ギャンブルだよな。」なんて言われることもありますが、人生なんて、サラリーマンを選ぼうが自営業を選ぼうが、農業でもスポーツ選手でも、何を選んだとしても結局ギャンブルです。いつ何が起こるのかは、誰にも分かりませんから。
 私には、一部上場企業でのサラリーマンの経験もありますが、実際に働いてみて、自分の人生を第三者に委ねる生き方は、年を重ねた時に後悔せずに済むかどうかという点においてはリスクが高いように思われました。もちろん、何をもってリスクと捉えるかは、人によっても違うでしょうし、単独で動くのが得意な人もいれば、組織として動くのが得意な人もいます。ですから、この点に関しては、あくまで私の場合の話です。

命題をもとに道筋を探してみる。試してみる。

 命題を「死ぬ時に後悔しないこと」に決めたのであれば、それをどうやって実現するのかを考えなければいけません。私には、高校生の時に、ふたつのことを目標にしました。ひとつは、自分の得意なことを活かしたい。ふたつ目は、世の中の役に立ちたいということです。ただ、この時点では、まだ、美術関係の仕事をして誰かが笑顔になってくれればいいな、くらいのぼんやりとした考えでしかありませんでした。美術関係といっても範囲が広いので、手始めに食いっぱぐれがなさそうなデザインやイラストなどにも挑戦してみましたが、デザインやイラストに関しては、どうあがいても越えられない人たちがすでに大勢いましたので、あきらめました。一方で、得体の知れない職業だと思ってずっと避けていた写真に関しては、趣味で撮っているうちに「写真ならそこそこのところまで行けるんじゃないか?」と根拠のない自信が芽生えてきました。「なんじゃ、そりゃ?」ってことですが、本当です。勘と言ってしまえばそれまでですが、ある程度のところまで努力をすれば、世の中に出回っているものとの比較で、自分の立ち位置が多少なりとも見えて来るものです。

物事を逆算して考える思考方法を説明する記事のイメージ写真

道筋を決めたら、少しずつ具体化さてゆく。

 紆余曲折を経て写真を仕事にすると決めたなら、次にやるべきことは、その仕事で後悔しないためには、どうすればいいのかということです。私が考えたのは、「自分が死んでも残る写真を撮ること。遺すこと。」でした。物理的に残ることも大事ですが、人の記憶に残るような写真だったら、もっとうれしいだろうなと思い描きましました。でも、自分の力や生い立ちで、そのような写真を撮るには、どうすれば良いのか?撮れるのか?製造業であっても研究であっても2番目以降は、その他大勢になってしまいがちです。それは、写真でも同じだと考え、悩みます。誰もやってないことを探すか、既存の分野であれば、今までのものを超えるものを目指さなければいけません。
 ドラマチックな人生を送る星の下に生まれていないというのは、わかっていましたし、破天荒なことを考えたり行動したりする性格ではありませんので、私小説的な写真は一番に放棄です。広告の写真は、どうか?ちょっとやってみたものの会社員という立場で会社にやらせてもらっている程度では、世の中に役に立ちたいという目標とは、うまくつながりませんでした。そもそも、インターネットが一般的ではなかった1990年代に東京にいないなんて、土俵にも上がれません。人物や風景だって、すでに多くの名作がある中で、私くらいの力では、それらの作品を超えるのは難しそうです。最終的に「日本の現場を応援する」というコンセプトの元に、インフラや研究施設、工場などを撮影のテーマにすることを思いつきました。メディアなどでも取り上げられる機会が少なく、写真家が撮影した例も少なかったからです。
 言葉で書くと数行で終わってしまいますが、写真を仕事にすると決めた後、このテーマを探している時間が、一番長く辛い時間でした。自分がドキドキしながら撮影することが出来、まだ誰もやっていないテーマ。そして撮影した写真が、世の中に立つようなテーマ。まさに針の穴を通すようなテーマ探しでした。

写真家の思考方法を説明する記事のイメージ写真

命題を実現させるために必要なのは、「妄想」

 テーマが決まってくれば、後は、突き進むだけなのですが、誰もやっていないことをやろうと思ったら、理解されないことや壁にぶち当たることがあります。実際に、ありました。今でも、撮影することよりも自分のやりたいことを理解してもらうことの方がはるかに難しいです。ただ、一度理解してもらえれば、仲間とも言える存在になってくださる人も多く、今では、その方々に何度も救われています。
 さて、話を少しずつ具体的なことに落とし込んでゆきしましょう。手を動かす段階の話です。この時に重要なのは、「妄想」です。「こんな風になったらいいな」とか「こんなことが起こったらいいな」ってやつです。美術館で企画展をしてくれたらいいな。カメラメーカーさんと仕事できたらいいな。ナショナルジオグラフィック誌に載せてもらえたらいいな。色々なことを「妄想」しました。妄想をしていると、なにかを選ぶ時に、妄想に近い方を選ぶようになりますし、何より、行動がそちらを目指して動き始めます。また、妄想は具体的であればあるほど、行動しやすくなります。例えば、写真集を作ることを妄想したとしましょう。そうすることによって、何かを撮影しようと思った時に、本にした時の収まりを考えながら撮影出来るようになります。妄想がなければ、同じような写真が並ぶ結果になってしまって、商業出版の本としては企画が通らないかもしれません。仮に本が出来たとしても、質が下がってしまいますから、次につながる確率は、ぐっと下がってしまいます。つまり、妄想がなければ、チャンスが目の前にあっても活かすことが出来ませんし、チャンスだと認識することさえ出来ないかもしれないのです。

 「逆算の写真術」では、ここまで書いてきたように、まず先に「こうなったらいいなあ」という結果を思い浮かべ、その結果に近づくには、どうすればいいのかを考えます。楽しい未来が偶然やってくるのを待つのではなく、思い描いた未来に近づけるように自分が動くのです。もちろん、この方法でも全てが思い描いたようになるわけではありませんが、人生を賭けて実験してみた結果、かなりのことは実現していますし、目標にも近づいている感覚はあります。

終わりに

 「自分をごまかしながら歳をとってゆき、死が近づいてから『やっておけばよかった。』なんて思うことほど、悲しいことはない。」と頭に浮かんでしまったところから始まって、ここに書いたような考え方に至ったわけですが、自己実現のハードルを高く上げてしまうと、正直、辛いことや悔しい思いをすることがとても多いです。面白いこともいっぱいありますし、成り行きだけでは経験出来ないこともたくさん経験していますが、代償も相当大きい。自分は、真っ白な雪原があったら最初に足を踏み入れたいと思う性分なので、こんな人生を選んでいますが、既に雪道となっているところを歩きたいと思うのであれば、そんなに高いハードルを設定する必要はありません。自分の人生に納得出来るかどうか。それが、一番大切だからです。

以上、写真家西澤丞の悪戦苦闘でした!

(2020年10月21日追記)
この記事を投稿したところ、結果を想定し、それに向けて行動する考え方は、「バックキャスティング」と呼ばれる思考方法だと教えていただきました。なんでも、持続可能な社会(SDGs)を目指すため、問題解決の手段を見つけるための思考方法として、近年、注目が集まっている思考方法のようです。新しく知識が増えましたので、文章とタイトルを若干、手直ししました。それにしても、30年以上前から普通のこととして「バックキャスティング」を実践していた自分としては、周囲の人と話が噛み合わなかった理由がわかりました。どうも自分は、思いつくことが、世の中に比べて早すぎるようです。