「写真家って、よく分からない」のは、なぜだ!

はじめに
2025年の秋に、写真の首都を謳っている北海道の東川町で、写真展を開催していただいた。開催期間中、長期で滞在していたこともあり、高校での講演会や部活動への参加など、様々な活動を組み込んでいただいた。その中の一つに町職員さんに対する研修があった。写真の町なので、写真家が何を考えて活動をしているのか、職員さんたちにも知っていただくという趣旨だ。ギャラリーでお話をした後、何気なく「普段、写真展ってご覧になりますか?」と聞いてみた。答えは、「写真家って何をしている人なのかよくわからないので、写真展は見に行かない。」というものだった。写真の町であっても、写真に直接関わっていない人の感想は、これである。世間一般であれば、もっと関心が薄いであろうことは、容易に想像がつく。これは、まずいでしょ!あらゆる仕事でコミュニケーション能力が必要とされる時代だ。中でも写真は、プレゼンテーションやブランディングに必要不可欠であり、日本の競争力にも影響してくる。なのに、肝心の写真家の存在意義が揺らいでいる。
現状の把握
危機感を感じた後、たまたま日本写真家協会から賞をいただいたので、同協会に入会することにした。公益社団法人日本写真家協会は、日本で一番大きな写真家の団体だ。そのウェブサイトには、このように書かれている。「昭和25(1950)年の創立以来、写真家の創作活動を奨励し、写真家の職能と地位確立のための活動を行っています。」 にも関わらず、「写真家=よく分からない人」となっている現状は、なぜなのだろう。過去のことはわからないが、現時点での問題を書き出してみる。
1)創作活動を行なっていない
前例の無いものを生み出し、新たな価値観を提案することが創作活動だとするなら、現在進行形で創作活動を行なっている写真家は、ほんの一握りにすぎない。創作活動は、挑戦する姿勢を示すことでもあり、ブランディングの核であるにも関わらず…。
2)社会と関わっていない
社会と関わろうとしない人は、社会からも関わってもらえない。考えてみれば当たり前のことだが、社会との関わりを重視している写真家がどれだけいるのだろうか?依頼主や被写体周辺の業界を相手にしていることが、社会と関わっていることなのだろうか。
3)社会の動きに対応できていない
昔は、写真を撮れるだけで写真家が尊敬の対象として成立していた。しかし、誰でも写真が撮れるようになった今、生業として撮影業務を行なっていることが写真家の存在意義なのだろうか。さらに、AIが当たり前に使われる社会を想像した時、写真家が必要とされるためには、何をすれば良いのだろう。
4)憧れの職業になっていない
スター選手のいる競技は、盛り上がる。競技が話題になることが増え、競技人口もそれに比例するだろう。そして、さらにスター選手が生まれる好循環となる。写真は、どうだろう。写真家が憧れの職業だったのは、1960年代から1980年代くらいまでだろうか。そこで時が止まっているような印象だ。
問題の解決に向けて
問題は把握した。では、何をすればいいのか?上に書いた問題点の逆をやればいいだけなのだが、話を具体化させないと動けないので書き出してみよう。
1)「何をしているのか分からない人」からの脱却
今までの写真家は「言葉で伝えられないから写真を撮る」という考えで活動をする人が多かった。もちろん、1枚1枚の写真について言えば、言葉で伝えられないこともある。しかし、自分の活動を言葉で伝えないのは、自分の頭の中が整理できていないと宣言しているようなものだ。
好きなものを好きなように撮っているのは楽しい。自分が何のために撮影しているかを考えるのはストレスだ。苦しい。出来れば考えたくない。それは分かる。しかし、それを考えるのが写真家であり、アマチュアとの違いだ。そして、自分の考えを言語化し、伝えてこそ、「よく分からない人」から脱却できるのだ。
もう少し具体的に説明するならば、必要なのは目的の設定だ。「誰に何を伝えるのか?」これを設定してから撮影に臨む。ぼんやりとした気持ちで撮影した写真は、伝えたい内容もぼんやりしてしまうため、鑑賞者にとって「?」となってしまう。ポエムのような「あとがき」になってしまうのは、撮影後に無理やり辻褄を合わせようとするからだ。ポエムが悪いというわけじゃない。それがふさわしいテーマもあると思う。しかし、全ての写真家がぼんやりとした写真を発表していたら、「写真家=よく分からない人」になってしまう。
2)主体性の獲得
文章を書く仕事であれば、作家とライターが別の職業だと多くの人が考えるだろう。もちろん作家であってもコラムなどの依頼仕事をすることもあるだろうから、どちらの足に重心があるか程度の違いかもしれない。ただ、ライターが「作家です」と自己紹介することはないだろう。それに比べ、写真家の定義は無いに等しい。カメラを買ったその日から写真家と名乗る人もいるかもしれない。ただ、写真家の地位向上について考えるのであれば、受け身で依頼仕事をこなすだけでは不十分だ。多少なりとも作家としての主体的な活動が求められるだろう。
3)社会と関わる
これには、幾つも方法がある。思いつく範囲で書いてみよう。
・写真を撮るまでが写真家の仕事だと考えている人は大勢いるだろう。いい写真が撮れたら「後はデザイナーさんにお任せ」みたいな。間違っているわけではないが、写真家の地位向上を考えるのであれば、もう一歩先を考えたい。写真を見た人に、どういう行動をとってほしいのか。写真を見た人が「綺麗ですね」と言ってくれるだけでは、その写真は単なる消耗品だ。鑑賞者の行動に何も影響を与えないだろう。もし、写真によって鑑賞者の行動や考え方を変えることができれば、それは、社会に影響を与えていることになる。
・写真は、強力な「伝える力」を持っている。そんな強い力を持ちながら、お金になるかどうかで判断したり、依頼を受けなければやらなかったことが沢山あると思う。でも、どうだろう、自分の力を、ほんの少しだけ社会貢献に使ってみては。
・数値で判断できない能力を、非認知能力という。主体性やコミュニケーション能力、創造性などがこれに該当する。計算能力や知識など、数値で判断できる能力は、対義語である認知能力になる。今まで学力と呼ばれていた能力だ。この認知能力は、今日も明日も同じだった世界では、とても有用な能力だったものの、社会が大きく動き、かつAIが台頭してきた現在では、その有用性は低くなりつつある。写真家は、今までにない視点で世の中を見るのが得意だ。つまり、これから重要になってくる非認知能力に長けているので、きちんと言語化できれば、写真だけでなく、教育の分野でも社会と関われるはずだ。
4)挑戦する
ブランドだと思っている商品、すごいと思っている人を思い浮かべてほしい。彼らに共通するのは、「実績」、「志」、「見映え」だ。そして、「実績」や「志」には、挑戦する姿勢が含まれる。何かの分野での第一人者、今まで誰もやっていなかったことをやった、記録を塗り替えた、常に新しいことを求めている、などなど。すでに誰かがやっていることやマーケットが確立されている分野での活動は、楽だ。安心感もある。でも、それじゃ憧れの対象にはなれない。
おわりに
「自分は困ってないから、今まで通りでいい。」
「写真家だからって、尊敬される必要なんてない。」
「次の世代のことなんて、自分には関係ない。」
色々な考え方があるだろう。僕も考え方を変えていただこうなどとは思っていない。ただ、問題意識を持っていながらも、どこから手をつければいいのか分からないという人もいるだろうから、この文章を書いてみた。
僕は、死んだ時に「あの人は、結局、何をしたかったんだろうね?」なんて思われたくないので、やりたいことを明確にするよ。

