01思考の危険性

 今、世の中では、0か1か、賛成か反対か、みたいな話ばかりが目立つようですが、物事ってそんな単純なものでしょうか?

例えば、化石燃料を使うことの是非

 01で議論されている代表的な問題として、化石燃料を使うことの是非があります。片方の人たちは、化石燃料を使うと温暖化が進むので、使うべきではないと主張しています。でも、もし何も考えず即時停止してしまったら、おそらくほとんどの人が餓死してしまうでしょう。何も運べなくなりますし、農機具さえ動かせなくなりますから、農業をやっている人でも自分のことだけで精一杯という状況が想像されるからです。江戸時代くらいまで生活水準を下げればいいと思っている人もいるかも知れませんが、その水準にするには、人口も同じ水準にしなければいけない訳ですから、そう簡単な話ではありません。もう片方の人たちは、温暖化の原因がCO2だという説は仮説に過ぎないから今のままで良いとか、経済的なことを考えれば、今のままゆくしかないと主張しています。しかし、仮説であっても実際に気温が上昇していることを痛感する状況となっていては、原因として考えられるものの一つとして無視するわけにはいきません。また、人類が掘削できる資源には限りがありますので、このままでいいという訳でもありません。今後も、今までのようにエネルギーを使ってゆくのであれば、代替エネルギーの開発や再生エネルギーの活用、蓄電技術の開発などが必要となってきますが、それらへの投資は目先の利益になりませんし、必ず成功するという保証もありません。きちんとした計画を立てた上で、コストをはじめとした、ある程度の負担やリスクを覚悟する必要があります。
 化石燃料を使うこと以外にも対立している問題は、いくつもあります。しかし、相手の意見を否定するだけでは、ますます極端な意見になってゆくように思います。

0か1かの話をする前に

 ここでは、賛成!反対!と意思表示をすること自体を問題としているのではありません。ただ、0か1かの話になってしまうと、その根拠や結果についての議論がすっ飛ばされてしまうのが怖いのです。単純化された言葉は、「わかりやすさ」という強い力を持っていますので、知らず知らずのうちに0か1しか答えがないように思い込んでしまいます。本来であれば、1)現状の把握、2)問題の特定、3)目標の設定、4)計画の立案、5)実行、とするべきところを、01思考では、1〜4を飛ばして、いきなり5から話を始め、実行するかどうかだけを議題にしている状態です。歴史を振り返ってみても、0か1かの議論だけで物事を進めていった結果として、様々な失敗をしてきていることを思うと、恐怖を感じるのです。

ここからどうする?

 現状維持にこだわり、座して死を待つだけの人。感情に突き動かされて崖から飛び降りようとする人。どちらの人にも賛成できません。では、この先、どうすれば良いのでしょうか?
 0か1かで議論するのではなく、予測される未来に対して、今、何をするべきかを考え、実現不可能な場合は、最善の妥協点を見出すことが必要なのだと思います。その決定には、不便さや我慢が求められるのかもしれません。〇〇主義といった従来の考え方や人生そのものについても考えなおす必要があるかもしれません。私たちは、それくらいの覚悟が必要な時代に生きているんだと思います。
 まずは、一人一人が世の中の問題に関して当事者意識を持つことから始め、問題に対して具体的な行動を起こす必要があります。傍観者でいることや他力本願でいることは、未来を放棄しているのと同じです。一人に出来ることなんて、たかが知れています。でも、一人が行動を変えてゆかなければ、60億人の行動は、変ってゆかないのです。
 何かの批判をしたり反対するだけで役割を果たしているつもりになれた時代が長すぎました。もう終わりにしなければいけません。今でも問題提起は重要ですが、問題提起だけで満足するのではなく、解決に向けて具体的な行動をしなければいけない時が来ていると思います。

最後に

 重要なのは、0か1かの話をする前に、現状の把握と目的の設定を、きちんと行うこと。そして、現役世代の最大の使命は、次世代により良い世界を残すことだと、改めて認識しなければいけません。
 今の私に出来ることは、現状を把握するためのお手伝いと興味を持ってもらうためのきっかけづくり程度ですが、読者をはじめ、支援してくださる方がいらっしゃる限り、この活動を続けてゆきたいと思っています。

 以上、写真家西澤の悪戦苦闘でした!