BtoB企業の広報を支援する、写真家の新しい仕事について。
コロナ禍が始まった頃、写真家としての生き残りを賭け、新しい仕事の創出や活動領域の拡大を目的としたウェブサイト「Workers in Japan」を立ち上げた。そこから約3年。ようやく思い描いた形になりつつあるので、現在の状況をまとめてみようと思う。
はじめに
ウェブサイト「Workers in Japan」は、様々な「働く人」を、写真と文章で紹介することを目的としていて、写真も文章も僕が担当している。取材対象は、大企業から個人まで幅広く、民間から公的団体まで様々だ。特徴としては、撮影している人が文章を書いているので、説明がわかりやすく、写真が多いので、視覚的な訴求力が高くなっている。
僕自身について説明しておくと、僕は、作家としての自主的な撮影と依頼仕事を請け負って撮影することの両方で生計を立てている。作家として撮影した写真を、商業的なことに使っていただく場合もあれば、仕事を請け負う場合でも、私の撮影スタイルやコンセプトを理解してくださっている方達からの発注なので、自主的な撮影と依頼撮影との差は、ほとんどない。作家活動をすることが、すべての中心だ。しかし、コロナ禍を含め、世の中の状況が大きく変わってきているので、それへの対応として、このウェブサイトを立ち上げた。
さて、前置きが長くなってしまったが、この文章の前半では、ウェブサイト「Workers in Japan」を開設した理由や目標設定などを説明し、後半では、ウェブサイトを通して新しく受注した仕事の紹介やこれからを生きる写真家の仕事観について書いてみようと思う。
ウェブサイトの開設理由:作家として
ウェブサイト「Workers in Japan」を開設した理由には、作家としての側面と営業としての側面がある。まずは、作家としての側面から紹介する。作家としての主な理由は、媒体の確保だ。以前は、写真を発表する媒体として商業出版の写真集を設定していた。また、取材先の許可を得る時も「写真集を作るため」という理由を提示していた。しかし、コロナの少し前から、商業出版の写真集は企画が通りにくくなっていたので、発表の場と取材させてもらう理由の両方を失いつつあったのだ。このあたりは、サイトを立ち上げたばかりの頃に記事としてまとめてある。
「写真家として生き残るための方法として、新しいウェブサイトを立ち上げました。」
さて、サイトを開設した後の結果はどうだったかというと、10年以上前、写真集の企画を持って行った時に断られた取材先でも、今回のウェブサイトでは許可をいただけた。個人のウェブサイトのための取材じゃ許可が出ないかもと心配していたのは、全くの杞憂だった。10年の間に、媒体に対する価値観も変わったし、取材を受け入れることへの考え方も変わってきたのだろう。それ以外の効果としては、撮影の回数が増え、取材先の幅も広がった。職人さんのような個人で働いている人から、航空自衛隊さんやJALエンジニアリングさん、 JR東日本さんなどいった大きな団体まで、さまざまな職場にお邪魔させてもらっている。また、別の効果としては、自分の活動コンセプトである「写真を通じで日本の現場を応援する。」を、わかりやすく伝えられるようになった。写真集は、写真が中心になるので、見る人の想像力に頼る部分が大きくなってしまう。だからクリエイターさんなどには支持されるんだけど、一般の人には伝わりにくいものになっていた。新しいウェブサイトでは、写真に文章を組み合わせて、記事という形で提示したので、写真にそれほど興味のない人たちにも受け入れられるようになった。まあ、その分、クリエイターさんたちからの評価は下がるのかもしれないけど、それは仕方ない。マスの方を優先する。最初から、そのつもりだ。
ウェブサイトの開設理由:営業活動として
さて、営業的な側面については、どうか。写真集を出版できていた頃は、本を出すと、それがきっかけとなって新規の案件が発生することが多く、そのパターンに甘えていた。今から思えば、作家バカみたいな部分もあったと思う。写真家として、作家、クリエイターとして、前例のない写真を撮ることに固執するあまり、柔軟性に欠けていた。そこで、このウェブサイトのアイディアを実行するにあたっては、発展させる方法やお金に変える方法を、あらかじめ想定しておくことにした。想定していた発展の段階と実際の成果は、以下の通りだ。
発展段階-1、新規のウェブサイトを用意し、活動の目的を設定した。
・新規のウェブサイトを開設
以前から写真家西澤丞のウェブサイトとして、今、ご覧いただいているサイトを持っていたが、ここには、機材のハウツー記事を含めた雑多な記事を載せているので、新たな企画を加えてもごちゃごちゃするだけだ。そこで、「働く人」の記事だけをまとめたウェブサイトを立ち上げることにした。そうすれば、何を伝えたいサイトなのかわかりやすくなるし、検索結果を元に訪れた人には、他の記事にもアクセスしてもらいやすくなる。また、新しいウェブサイトには、個人名を冠することをせずに、自分を「運営者」や「取材者」という位置付けにした。これは、将来的な発展の余地を残す意味合いもある。
・目的の設定
ウェブサイトの活動目的は、社会貢献につながるものにした。具体的には、様々な職業とそこで働く人を、かっこよく紹介するというものだ。これは、写真家西澤丞の活動コンセプトである「写真を通じて日本の現場を応援する」を実行する方法として設定していた「暮らしを支えている現場を紹介する」、「子どもたちに職業の選択肢を増やす」、「日本や日本製のブランドイメージ向上させる」を短く、わかりやすく言い換えたものだ。サイトの活動目的を社会貢献に設定しておけば、関わった人は自動的に社会貢献に参加していることになるので、単に情報を伝える以上の付加価値を提供できると考えたんだ。
それから、自分はデザインを勉強していたので、「コンセプト」っていうのは馴染みのある単語だけど、一般の人には「?」だよね。こういう部分もわかりやすい方向に修正だ。
・記事を作るときに心がけたこと
サイトを立ち上げてからの具体的な作業としては、サンプルとしての記事を書くわけだけど、その際に、話し言葉に近い文章にすることで、堅苦しい雰囲気を排除した。また、インタビューの部分では取材対象者の人となりが出るように心がけ、その他の部分では取材者の個性が表に出るようにした。誰が取材したのかわからない記事では、信用されないし、興味も持ってもらえないと考えたからだ。読者の対象としては、高校生の時の自分を想定し、彼に興味を持ってもらえるような記事を書くことにした。自分自身、職業について真面目に考え出したのが高校生の時だからだ。
サンプル記事を作るあたりまでは、企画を具体化させるための先行投資であり、自分自身のスキルアップでもあるので、営業的なメリットはない。
発展段階-2、取材先などにコンテンツを二次利用してもらう。
対価を払ってもらう状況としては、撮影した写真を、取材先のウェブサイトやパンフレットなどに使ってもらうパターンや第三者に使ってもらうパターンがある。これらは、写真集を作っていた時からあったパターンなので、「Workers in Japan」でも、すぐにたどり着いた。僕の仕事の中で、写真の貸し出しは、かなりの割合を占めるし、コロナ禍で唯一動いていたのは、この仕事なので、使ってくれる機会が増えることは、単純にうれしかった。ただ、冒頭でも書いたように写真単体では、伝えられる相手や伝えられる内容が限定されてしまうので、次の段階も想定しておいた。
発展段階-3、依頼案件の受注。
この段階が、対価を払ってもらえる活動にすることの本命であり、社会との関わりを強化することにもつながると思っていた。具体的には、このウェブサイトで作った記事と同じような仕事を受注すること、企業と共同で記事を作って、このサイトに掲載すること、企業にウェブサイトのスポンサーになってもらうことを想定していた。今回、この記事を書こうと思ったのは、企業と共同で記事を制作する案件を受注したからだ。
発展段階-4、チーム制への移行。
これは、まだまだ妄想の段階で、具体的なビジョンは何もない。妄想と断った上で書くとすれば、この第4段階は、記事を自分以外の人にも書いてもらうことやウェブサイトの枠を超えて企業さんの広報活動に参画することなどが考えられるだろう。だけど、どっちも現実的じゃないね。僕が作る記事と同等の記事を制作できる人がいたら、僕と一緒にやるなんて道を選ばず、一人で活動するだろうから。
振り返ってみて
妄想の部分については、どうするのか決めていないが、全体としては、順調に来ていると思う。コロナの最中に始めたプロジェクトとしては、上出来だ。目下の悩みは、記事がなかなか増えてゆかないことだ。原因は、許可をいただくまでの交渉や日程調整に時間が掛かっているからなんだけど、もうちょっと更新頻度を上げたいと思っている。
受注した新しい仕事とは。
さて、発展段階-3で書いた実際の案件について、もう少し書いておこう。実は、この案件は、僕が想定していたよりも面白い案件だった。依頼主は、三菱重工パワーインダストリーという会社で、いわゆるBtoB企業だ。つまり、個人を顧客にせず、会社と会社の取引で商売が成り立っている会社だ。このような会社には、共通の悩みがあって、それは、自分たちの作ったものが、一般の人の目に触れることがないので、どのように社会で役に立っているかを説明しづらいのだ。社員が家族に仕事内容を説明するのも難しいから、士気を上げるのにも苦労するし、最近ではリクルート活動で苦戦を強いられているようだ。そのような状況の中、今回いただいた企画は、二つの点において画期的だ。
1)依頼主である三菱重工パワーインダストリーさん自体を紹介するのではなく、納品先のお客様を紹介する内容になっている。お客様の仕事を紹介しつつ、三菱重工パワーインダストリーさんの製品がどこで活躍しているのかを紹介する企画なのだ。
2)同じ内容の記事が、三菱重工パワーインダストリーさんのウェブサイトと「Workers in Japan」の両方に掲載されている。話し言葉も感想も、そのまま三菱重工パワーインダストリーさんのウェブサイトに掲載されてるってことだ。それぞれのウェブサイトでの掲載ページを以下にリンクしておくので、参考にしていただければ、ありがたい。なお、同じ内容の文章が複数箇所に掲載されていると、ポータルサイトからの評価が低くなってしまいがちだけど、それは対策済みなので、ご心配なく。
三菱重工パワーインダストリーさんの掲載ページ
Workers in Japanでの掲載ページ
1)に関しては、今までも、取材先や顧客と話をする中で、「うちの製品を使ってくれている現場を紹介できたらいいのになあ」というボヤキにも似た願望を聞くことは何度もあったが、実現したことはない。おそらく、広報担当者が、営業担当者を説得した上で、顧客の許可を得なければいけない労力を考えると、構想の段階で尻込みしてしまうのだろう。今回、実例が出来たので、そんな人たちには、改めて提案しようと思う。
これからの写真家の仕事観。
写真家が、写真を撮っているだけの時代は、終わった。しかし、写真の力が弱くなった訳じゃない。それどころか、写真の「伝える力」は、ますます必要とされるだろう。写真家としての課題は、写真を撮って満足っていう段階から、一歩も二歩も先に進まなければいけないってことだ。どっちに進めばいいのかって?それは、社会と積極的に関わることで自然と見えてくる。誰かの困りごとの中には、写真で解決できる課題が必ずある。その課題を解決できれば、それが自分の仕事になる。
僕の場合、コロナ前にやっていたアプローチがあまりにも抽象的だったので、分かりやすい形に変容させたに過ぎない。それによって、写真を単体で見た時のクリエイティブなイメージは、少しダウンするかもしれない。地味な被写体も撮影するからね。だけど、これからの写真家の評価は、写真単体ではなく、活動全体を俯瞰したものになると確信しているので、問題ない。また、ウェブサイト「Workers in Japan」が、前例のないものになれば、ウェブサイト自体が一つの作品として相当にクリエイティブだ。
おわりに
写真を撮るのは、楽しい。趣味であれば、それで充分だ。写真を生業だと割り切っているのであれば、誰かが引いたレールの上で速さを競うのも、別に悪いことじゃない。ただ、「写真家=クリエイター」だと思っているのであれば、もしくは、写真家の社会的地位を向上させたいと思うのであれば、もっと新しいことをやろうよ。僕は、「日本の失われた30年」を40年にするなんてまっぴらごめんだから、自分の思いついたことから実行するよ。
以上、写真家西澤丞の悪戦苦闘でした!