福島第一原子力発電所の廃炉作業を撮影することにした経緯について
2021年3月で、東日本大震災及び福島第一原子力発電所の事故から10年という時間が経過したことになります。私は、2014年から福島第一原子力発電所の廃炉作業を撮影していることもあって、この節目の時期に、雑誌やネット媒体などに写真やインタビューが掲載される予定になっています。それらの記事中でも廃炉作業を撮影することになった経緯を取り上げていただくことになると思いますが、印刷媒体では紙面の都合により、簡単な文章になってしまうことが想像されます。また、インタビューされたものは、どの部分を取り上げてくださるのか、わかりません。そこで、それらの情報を補足する文章を、ここに掲載しておきたいと思いました。掲載する文章については、新たに書き起こすことも考えましたが、写真集「福島第一 廃炉の記録」の序文として書いた文章が一番良いように思いましたので、その文章を掲載することにしました。なお、動機については、序文の後に補足する文章を加えています。
以下、写真集「福島第一 廃炉の記録」の序文です。
自分にできることは、何なのか。未来のために今するべきことは、何なのか。湧き上がってくる自分自身への問い。事故後、時間が経っても不鮮明な写真しか発表されないことへの疑問。誰もやらないのであれば、自分がやるしかないという使命感。それらに対する答えとして、2014年7月から現在まで、東京電力の協力のもと福島第一原子力発電所の廃炉作業を撮影している。撮影にあたっては、現場の目線で撮った記録写真を残したいと考えていただけで、写真集という形でまとめるつもりはなかった。しかし、実際の現場と人々が持つイメージとのずれが徐々に大きくなっていることや、事故が風化しつつあることを感じ、事故から7年経つこの機会に本としてまとめようと考えた。
写真の中立性について、問われることがある。この撮影が東京電力の協力によって行われていることを考えれば、そのような疑問が浮かぶのも当然だ。しかし、東京電力の案内がなければ現場に立ち入ることができないという条件は、誰が行っても同じである。そもそも放射線管理区域では、福島第一原子力発電所に限らず、どこであっても第三者が自由に行動することは許されない。まして放射性物質がどこにあるのかわからない状況では、現場を把握している人の案内が必要不可欠だ。また、撮影において制限を受けているのは、核物質を守るための機密事項と個人の特定につながるものだけだ。機密に該当する部分は、テロリスト対策でもあるので撮影できるはずもない。個人の特定については、一部の例外を除いて、顔をアップで写さないようにし、名前などが書かれた部分に対して写真の修正を行っている。記録写真として考えた場合、修正を加えるべきではないが、風評被害やいじめなどの問題がある以上、やむを得ない処置だと考えている。
この撮影に関して、私は、何かしらの意見を伝えることを目的にしているのではない。ただ、現場に行くことができない人に対して判断材料を提供したいと考えている。原子力発電については、様々な考えがあるだろう。しかし、福島第一原子力発電所の廃炉作業については、どのような形になるにせよ解決しなければならず、今の現役世代だけでは完了できない課題であることも確かだ。そのため、できる限り多くの記録を残しておくことが大切だとも考えている。唯一、個人的に伝えたいことがあるとすれば、それは、現場には一生懸命に働いている人が大勢いるということ。それだけだ。
本書を編集するにあたっては、個々の写真に解説文を用意し、現場に行った者でなければわからないこと、現場で感じたことなども書き込んだ。私が見た現場の生の風景を伝えたいと考えたからだ。それらは、個人的な感想に過ぎないが、誰かの意見を代弁しているものでもなければ、伝聞でもない。私が体験した一次情報だ。
本書は、廃炉の現場を長期にわたって撮影した、記録としての写真集であると同時に、個人的な視点による写真集でもある。本書が、廃炉の現場を知る手助けとなり、あなたの未来に役立つことを願うばかりだ。
以上、写真集「福島第一 廃炉の記録」の序文でした。
上の序文の中に「誰もやらないのであれば、自分がやるしかない」と書いている部分がありますが、それは、子どもの頃に見たW・ユージン・スミスさんの写真の影響です。
あれは、おそらく中学校の時だと思いますが、社会科の教科書に水俣病を紹介する文章が載っていて、そこに彼の撮影した写真も掲載されていたのです。安っぽい紙に印刷された小さな写真でしたが、迫力はもちろんのこと、優しさや愛情、それに表現が正しいかわかりませんが、美しさなどいろいろなものがいっぺんに伝わって来て、強烈な印象を受けました。当時は、写真に興味があったわけではありませんし、ユージン・スミスさんの名前を知っているわけでもありませんでしたが、クレジットを見れば外国の人が撮影したということだけは理解出来ました。そして、外国の人が撮影した写真だと理解するのと同時に「なんで外国の人?この時、日本の人は何をしていたんだろう?」と思ってしまったのです。もちろん、当時、取材をされた方はいらっしゃると思いますので、子どもの時に思ったこととしてご容赦いただきたいのですが、廃炉作業の写真を誰も撮影しないと悟った時に、この記憶がよみがえって来たのです。そして、自分が「何もしなかった人たち」の一人として、後の世代の人に認識されてしまうのには、耐えられなかったのです。
写真は、潜在的にものすごい力を持っています。自分は、たままた写真を撮るのが得意だったに過ぎませんが、それでも、この力をどう使うべきなのか、何に使うべきなのか、この撮影に限らず、自問することは多々あります。
以上、写真家西澤丞の悪戦苦闘でした!