写真に必要なのは、目的の設定と言語化だ! 写真家がコンセプトのリニューアルで感じた言葉の重要性。

はじめに

僕の撮影は、多くの人に協力していただかないと成立しないので、やりたいことを伝えるために、コンセプトを明文化している。しかし、今までのコンセプトが時代に合わなくなってきたので、リニューアルすることにした。この文章では、これからコンセプトを考える人の参考になればと思い、考え方のポイントなどを書いておくことにした。僕は写真家なので、写真について書いているけど、別の仕事にも置き換えられるはずだ。

新しいコンセプトついて

・活動コンセプト
見えない仕事を、可視化する。

・コンセプトの説明
「立入禁止の壁や思い込みなどにより、人に知られていない仕事や誤解されている仕事が沢山ある。もし、それらの仕事のひとつひとつに、光を当てることが出来たなら、子ども達は、職業の選択肢を得、働く人達は、自信を持って次の一歩を踏み出せる。だから僕は、働く人の代弁者として、見えない仕事を、可視化する。」

ちなみに従来のものは、「写真を通じて日本の現場を応援する。」ってもので、コンセプトの下に具体的な活動内容を箇条書きしていた。これだと、僕の独自性が表現できていないし、活動内容を説明しようとするあまり、言葉に引っかかりがない。そこで、新しいコンセプトでは、僕の活動の特徴である、一般の人がアクセスできないような場所に行って取材するってことを盛り込んだ。また、伝え方も、一瞬「?」となる言葉を選び、できる限り短くした。

そもそもコンセプトとは?

Conceptは、概念、考え方と訳される単語で、何かをする時に、考え方の基準となるものだ。僕の場合は、伝える内容や相手の反応を想定したものをコンセプトとして設定している。伝えたい内容だけでは、コンセプトとしては不完全で、受け取る側のことまで考えなければいけないと思っている。「こんな技術を持ってるから、作ってみました。」っていうのは、作る側、伝える側の視点。そうではなくて、「こういうものを作ったら、世の中が幸せになるよね。」って、考え方が重要だ。顧客目線と言い換えてもいいかもしれない。なぜ、こんな設定にしているかっていうのは、この後の文章を読んでもらえば、理解していただけると思う。

なぜ、言葉にするのか?

僕の場合だけかもしれないけど、撮影する前に言葉で表現できなければ、その撮影は実現しない。すでに誰かが撮影している内容なら、言葉にしなくても「あんな写真を撮りたいんです」で済むかもしれないが、前例のない撮影で誰かに協力してもらおうと思ったら、言葉で説明するしか方法がない。

僕の上の世代の写真家さんたちは、「言葉じゃ伝わらないから撮るんだよ。」みたいな感じで、撮影の動機を言葉にしなかった。写真で伝えたいっていう思いが強すぎたのかもしれないし、写真に関わる難易度が高い時代だったので、言葉まで考える余裕がなかったのかもしれない。ただ、結果的には、世の中の認識が「写真って、よくわからないよね。」とか「写真家って何してるの?」となってしまった。写真の文化レベルを向上させるためにも、写真家の地位向上を目指す上でも、言葉にしないことは、マイナスでしかない。きちんと自分の考えを言葉にし、なぜ撮っているのかを伝えなければ、社会からの理解は得られないのだ。

コンセプトは、何の役に立つのか?

僕にとって、コンセプトは、二つの価値があると思っている。

一つは、やるべきことを明確にできることだ。コンセプトを考える過程で、自分の目的や未来への展望についても考えなければいけないので、自ずと、今やるべきことが明確になる。やるべきことが明確になれば、あとは行動に移すだけなので、やるべきことがぼんやりしている状態とでは、スピード感も実現する可能性も、まるで違う。それに、出来上がったものにも目的が反映されるので、受け取る人に伝わりやすい。

もう一つの価値は、ブランディングだ。コンセプトを決めることで、言動が一致し、ブランドになる。逆に、コンセプトを決めておかないと、判断基準を持っていないことになるので、活動の一貫性を保てず、ブランドにはなり得ない。フラフラしていて何がしたいのかわからない人じゃ信頼してもらえないからね。

あっ、そうそう。趣味で撮影している人は、コンセプトなんていらない。楽しく撮影できれば、それでいい。芸術家であれば、伝わらなくてもいいってことだろうから、そういう人にも必要ない。「写真家」を、芸術家と捉えるのか、作家と捉えるのかで、コンセプトについての意見が分かれるかもしれない。僕は、伝わらなければ、撮る意味がないと思っている。

写真家がコンセプトを決める時の留意点

自分に対する認識を再考する。

写真を撮る人の自己認識は、1)撮影する人、2)何かを伝える人、3)社会を変える人、のいずれかだろう。どこを自分の立ち位置にするのか?僕は、ずっと2と3の間をフラフラしていた。でも、今回のコンセプトを書きながら、はっきり3を目指すべきだと考えるようになった。1と2の場合は、行動した結果について考える必要がないので、そもそもコンセプトを設定する必要がない。3の認識になって初めて、「こんな社会になったらいいな」ってことを考えるようになり、それをスムーズに実現させるためにコンセプトが必要になる。

ちなみに1と2の場合、競争力の差は、技術力や価格の差になるので、余人をもって代え難しって存在にならない限りは、低賃金のチキンレースに参加することになる。誰でも写真を撮れる時代だし、AIも後ろから追いかけてきているからね。そうならないためには、3にする必要があるんだけど、そのためには「写真家=写真を撮る人」っていう認識じゃダメで、「何かを実現させるために写真を使っている人」という認識に変える必要がある。今までのように撮影だけに集中していると、この考え方に辿り着くのは相当難しい。かえって、写真のスキルを、得意なことの二番目とか三番目にしている人の方が、柔軟に対応できるだろう。写真に対する思い込みが少ないし、客観性があるからね。

独自性について考える。

既に多くの人がやっていて独自性のないもの、一般的な考え方になってしまっているものは、あえてコンセプトとして設定する意味がない。当たり前のことを言っているだけでは、スローガンのようになってしまって、誰の心にも響かないからだ。僕の今までのコンセプト「写真を通じて日本の現場を応援する。」は、悲しいことに、このパターンだった…。また、実際の活動に独自性があっても、コンセプトにそれが反映されていなければ、活動内容がきちんと伝わらない。機会損失も甚だしい。活動とコンセプトは、リンクして初めて効果を上げるのだ。

差別化って言葉も聞くようになってきたので、写真の独自性について悩む人が多いと思うけど、独自のコンセプトを思いつけば、写真でそれを表現するのは、意外と簡単だ。実行するだけだから。それくらい言葉の意味は重いってこと。

言葉選び

これは、自分でもうまくできているかわからないので、希望ってことで書いておく。気をつけたのは、単なる説明じゃ誰も読んでくれないってこと。説明じゃダメだっていうのは、写真に置き換えて考えれば、よくわかることなんだけど、文章だと難しい。また、長い文章でダラダラ書くなんて、画面の中に無駄な要素が入ったつまらない写真とおんなじだ。何も伝わらない。短い文章でスパッと。そして、あまり見たことのない新鮮な表現で書くのがいいと思うぞ。

おわりに

日本では、目的は与えられるものであって、解決するのが自分の仕事だという認識が一般的だ。だから、解決方法である技術や手段に対して並々ならぬこだわりを持つ。一時期、海外のヒット商品に対して「そんなの日本でも作れる。そもそも部品は日本製だし。」といった意見を目にする機会が多かったが、これなど、まさに典型的だ。注目すべきポイントがズレている。他の例を列挙するまでもなく、作る側、伝える側の視点だけでは付加価値を産めない。受け取る側の立場を考慮した上で、目的の設定を行う必要があるのだ。これは、企業とか個人とかは、関係ない。今こそ、全ての人に、目的の設定と言語化が必要だ。

以上、写真家西澤丞の悪戦苦闘でした!