写真家にコンセプトが必要な本当の理由とは

 自分は、このウェブサイトのプロフィール欄にコンセプトを掲げていますが、なんでそんなことをしているのか?コンセプトが必要になる理由を書いてみたいと思います

コンセプトを設定する目的

写真家としての存在を確立させるため

今は、誰でも写真を撮れるようになりましたし、撮った写真をストックフォトとして販売することも簡単になりました。ですから、昔のように「写真を撮る技術があるから」とか「写真をお金に換えているから」などの理由だけでは写真家だとは言えなくなってしまっています。じゃあ、どうやって写真家としての存在を確立すればいいのか?
 いろいろな意見があるかと思いますが、私は、社会との関わりが重要だと思っています。「好きだから撮る。」ということを否定しているわけではなく、それに加える形で社会との関わりが必要だと考えているのです。ちょっと難しいですよね。図にしてみましょう。

ただ単に好きだから撮るということだけではなく、伝える内容や相手を具体化してゆき、最終的には、写真を見た人が何かしらの行動を起こしたくなるような、そんな社会と関わる写真を撮る人が写真家ということになるんだと思います。あっ、便宜的に「写真家」って言ってますけど、「フォトグラファー」でも同じです。
自分と社会との関わりを明文化したもの。それが、写真家のコンセプトになるのだと思います。

活動内容を第三者に説明するため

 活動内容を誰かに説明する機会は、インタビューを受ける時や本の企画を検討してもらう時などたくさんあります。自分の場合は、そもそも撮影をする段階で取材先を説得しなければいけませんから、スムーズに理解してもらえるように事前に考えておかなければいけません。また、私は個人という弱い立場で撮影をしているので、大きな企業や団体に対して「かっこいいから撮らせてください。」では、説得力に乏しく、誰も協力してくれません。これは、撮影に限ったことではなく、どんなプロジェクトでも関わる人が多くなればなるほど、社会的な意義を盛り込んだコンセプトをきちんと明文化しておく必要があるのです。相手を説得できなければ、社会との関わりが減ってしまいます。誰でも写真が撮れる時代に、社会と関わることなく撮影を続けるには、それなりの覚悟が必要です。

下請けからの脱却

 私は、写真家にとっての最大の資産は、自分が撮影した写真だと思っています。良い写真には、使わせてほしいという依頼が来ますので、メールなどのやりとりをするだけで、お金を産んでくれるからです。ただ、依頼で撮影させてもらった写真は、資産にはなりにくいのです。様々な権利が絡んでくることが多く、自分では使えないこともあるからです。目先のお金を稼ぐという観点で見れば、依頼での撮影は大変重要なのですが、それだけでは、資産は増えません。ずっと現役でいられればいいですが、体が動かなくなったら終わりです。資産となる写真を増やすためには、自ら企画して撮影する必要があり、そのためにはコンセプトが必要になってくるのです。依頼仕事の時には、ディレクターさんやデザイナーさんが考えてくれているので気にしなくても撮影できるのですが、自分で撮影しようと思うとそれらを自分で考えなければいけないからです。
 私が下請けからの脱却を考え始めたのには、きっかけがあります。フリーになって間もない頃、仕事の実績をまとめたサンプルを持って営業に行った時に、こんなことを言われたんです。「君は、何がしたいの?こんなのは、デザイナーやディレクターの仕事であって君の仕事じゃないんだよ。」当時は、広告や広報の依頼撮影を中心にしていましたから、デザイナーさんやディレクターさんの意向に沿って撮影をすることが当然だと思っていました。それを仕事じゃないと言われてしまいましたから、頭の中は「?」です。その後、誰に対しても自分の仕事だと胸を張って言えるようにするにはどうすればいいのかを考えていたら、自分で企画を立てる作家的な仕事が中心になって行ったのです。今でもデザイナーさん経由の仕事はありますが、企業と直接契約する仕事もありますし、写真集を作る時などは、デザイナーさんに仕事を発注する立場になることもあります。フリーになった時は、職業写真家を目指していて、作家になるつもりではなかったので、ちょっと不思議な感じですが、下請けという立場から発生する劣等感は無くなりましたので、結果的には良かったと思います。

仕事の一貫性を保つため

 これについては、先ほど書いた「資産」の価値を上げるために、自分自身のブランディングをする必要があるからです。いい写真を撮っていたとしても、あれもこれもという感じで撮影していては、全体の印象が「何をしているのかわからない人」となってしまってしまいます。これでは、ブランディングどころか写真家としての存在も弱くなってしまいます。私は、自分が死んでも写真だけは残って欲しいと思っているので、「何をしたのかわからない人」で終わってしまうのだけは、避けたいと思っています。自分と写真とがきちんと結びつくような一貫性のある仕事をするために、コンセプトが必要になるのです。自分自身が道に迷うようなことがあっても、コンセプトという地図を確認すれば、そこに正しい道が書かれているのです。

コンセプトを決める時のポイントとは

社会的な意義を盛り込む

 昔であれば、「今だけ、金だけ、自分だけ」という仕事のスタイルも成立していたかもしれませんが、今後は、自分の仕事が未来にどう繋がってゆくのか意識しない仕事は少なくなってくると思います。言うまでもなく、現役世代の最大の役割は、次世代により良い世界を残すことですから、それを無視した仕事に関しては、賛同や理解を得られなくなってくるからです。ですので、企業であっても個人であっても、今やっている仕事が社会にどのように貢献できるのか、活動コンセプトに盛り込んでおかなければいけません。当然、写真家も例外ではありません。
 私の場合は、社会の問題を解決することを、コンセプトの中心に設定しています。写真で解決できる問題とその方法を見つけるには、ずいぶん時間がかかってしまいましたが、あてもなく彷徨うような撮影から解放され、随分と撮影が楽になりました。

大きな目標にしておく

 コンセプトは、「世界を変えてやる。」くらいの大きなものが必要だと思っています。小さなものですと自分中心のものになりやすく、それでは賛同してくれる人が少なくなってしまうからです。大きなものであれば、賛同してくれる人も多くなります。また、大きな目標というのは、遠くからでも見えますので、迷った時に軌道修正しやすいということもあります。私のコンセプトは、妄想とも思えるような壮大なものとなっていますので、設定した当初は、「おいおい、こんなの書いちゃって大丈夫か?」と思っていましたが、最近では、一部、実現している部分もあり、自分自身でも違和感がなくなってきました。自己暗示の効果もあるようです。大きなもの以外では、普遍的なものでもいいかもしれません。人ならば誰でも感じるようなものとか…。誰でも感じることであれば、共感となり、世界に通用します。

最後に

 いずれにしても、今は誰もが写真を撮れる時代ですので、技術的なことよりも撮影の動機や目的がどんどん重要になってゆくのは間違いありません。今かっこいいと思われている人でも、スタイルが今時だというだけでは、すぐに使い捨てられてしまうでしょう。きちんとコンセプトを設定できているかどうかが、長く続けられるかどうかの境目になるような気がしてなりません。

 以上、写真家 西澤丞の悪戦苦闘でした!